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ノーヒットノーランの巨人・山口俊の父親は元力士「谷嵐」!どんな力士だった?

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巨人・山口俊投手がノーヒットノーランを達成!

2018年7月27日に巨人の山口俊投手がノーヒットノーランを達成しました!

プロ野球史上79人目の達成です。

すごいですね。

山口投手について調べていたら、山口投手の父親が元力士の「谷嵐」だと判明したので、紹介していきます。






谷嵐のプロフィール

まず始めに谷嵐のプロフィールを簡単に見ておきましょう。

四股名:谷嵐 久(たにあらし ひさし)
本名:山口 久(やまぐち ひさし)
生年月日:1952年4月16日 – 2010年10月19日
出身:大分県中津市
生涯戦歴:345勝292敗12休
優勝歴:十両優勝:1回(1978年11月場所)/ 幕下優勝:2回(1977年3月場所・1982年3月場所)/ 序ノ口優勝:1回(1971年3月場所)
身長:181cm
現役時体重:128kg
BMI:39.07
所属部屋:時津風部屋

>> 谷嵐 の画像一覧

谷嵐はどんな力士だった?

谷嵐は1970年代に活躍した力士です。

最高位は西前頭4枚目で、幕内で46勝をあげました。

相撲をはじめたのは、大分県立中津工業高校に入学してからだそうです。

はじめたのは遅かったですが、めきめきと実力をつけ、高校3年生の時には全国大会に出場し上位入賞しました。

高校卒業前に知人の紹介で時津風部屋へ入門し、1971年1月場所で初土俵を踏みました。

入門直後は好成績を残し、まわりからも将来を期待されましたが、幕内ではなかなか結果が出せずに、1982年11に30歳で廃業しました。

廃業後は故郷の大分に戻り、相撲茶屋「谷嵐(なりや)」をオープンしました。

>> たにあらし (ちゃんこなりや) の食べログページ

現在はご長男さんが相撲茶屋「谷嵐(なりや)」を引き継いでおられます。

谷嵐は、2010年10月19日に肝臓癌のため大分市内の病院で58歳で逝去されました。






『谷嵐』の名前の由来は?

四股名である『谷嵐』の由来が気になったので調べてみました。

最初は本名の「山口」でしたが、入幕後に郷里の大先輩である谷嵐市蔵(元大相撲力士)に肖った「谷嵐」へ改名したようです。






息子は巨人の山口俊投手!

谷嵐の息子(次男)は巨人の山口俊投手です。

父である谷嵐から幼い頃から相撲の指導を受け、毎日しこ100回、股割りをこなしたそうです。

小学校2年までは、相撲の稽古をしていまたが、友人に誘われて野球を始め、地元の軟式野球チーム『太陽クラブ』に入団します。

相撲よりも野球のほうがおもしろくなり、野球にのめりこみました。

小学校6年で、既に身長は170センチを越えていたというから大きいですよね。

豊陽中時代には、大分県で優勝。

相撲を完全にやめたわけではなく、この頃もときどき相撲の大会にも出て、優勝していました。

高校は大分の強豪・柳ケ浦高に進みました。

柳ヶ浦高では1年生ながら甲子園出場。

2005年の高校生ドラフト1巡目で横浜に入団しました。

その際に、好きな言葉は「ごっつぁんです」と答えました。

2006年に山口投手が初登板初勝利を挙げた直後、お父さんである「谷嵐」は、「なんてことをしてくれたんだ、と思いましたよ」と笑いながら牛島和彦氏(当時の横浜の監督)に言ったそうです。

横浜、DeNA時代は、「どすこい」という愛称があり、2012年に通算100セーブを達成した際に作られた記念Tシャツには、横綱姿の山口投手のイラスト、背中には「壱百セーブ ごっつぁんです」という文字がデザインされていました。

2017年から横浜から巨人に移籍しています。

昨季は右肩違和感で出遅れ、飲酒した上での暴行トラブルが発覚し、謹慎処分も受けました。

ノーヒットノーランを達成した試合では、父譲りの巨漢から威力のある直球、要所ではフォークを投げ、復活を遂げました。

まとめ

・ノーヒットノーランの巨人・山口俊の父親は元力士「谷嵐」
・谷嵐は1970年代に活躍した力士
・谷嵐は廃業後に故郷の大分に戻り、相撲茶屋「谷嵐(なりや)」を経営

以上、『ノーヒットノーランの巨人・山口俊の父親は元力士「谷嵐」!どんな力士だった?』でした!

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