ビッグバナー広告

元小結・時天空(間垣親方)が悪性リンパ腫で37歳で死去 

シェアする

元小結・時天空が死去

悲しいニュースです。

元小結・時天空(間垣親方)が平成29年1月31日午前1時12分に悪性リンパ腫により死去したことが日本相撲協会より発表されました。
37歳の若さでした。

時天空のプロフィールについて

時天空のプロフィールを簡単にご紹介します。

四股名:時天空 慶晃(ときてんくう よしあき)→ 間垣親方
本名:時天空慶晃(ときてんくう よしあき)
モンゴル名:アルタンガダシーン・フチットバータル
生年月日:1979年9月10日 – 2017年1月31日
出身:モンゴル(トゥブ県アルタンボラグ村)
身長:185cm
体重:141kg
BMI:41.20
所属部屋:時津風部屋

時天空関は、モンゴル相撲の力士の息子として生まれました。
そして若い頃は、ウランバートル市内の柔道クラブで、後の朝青龍、朝赤龍、日馬富士らと稽古を重ねました。
すごい豪華なメンバーですね。

モンゴルの大学に進学後、卒業を待たずに2000年4月にスポーツ交流留学生として、東京農業大学国際食料情報学部生物企業情報学科に転入し相撲部に入部しました。
もともと相撲をとるために日本に来たわけではなく、留学後はモンゴルに帰り学校の先生になる予定でした。
しかし、大相撲で活躍する朝青龍、朝赤龍らの姿を見て次第に興味を持ち、角界に入るためには入門時の年齢制限である23歳も迫っていたため、在学中のまま3年次に時津風部屋へ入門しました。

2002年7月場所に前相撲から初土俵を踏みました。
同期7人の中で1番目に出世を決め、翌場所から3場所連続全勝優勝しました。
序ノ口からの22連勝は話題になりました。

2004年春場所で十両に昇進し、同年名古屋場所で、初土俵から12場所の史上最速タイ(当時)で新入幕を果たしました。
突っ張り、右四つ、投げ、寄り、けたぐりなどの足技を武器に、2007年名古屋場所で最高位の東小結に昇進しました。
足技をよく出していたのは柔道経験者だからだようです。

2014年1月に日本国籍を取得しました。
国籍取得により引退後の年寄襲名が可能となったことから、同年5月29日付で年寄名跡「間垣」を取得しました。
モンゴル出身者としては初の年寄名跡取得となりました。

時天空の四股名の由来は?

時天空の四股名は、時天空が所属していた東京農業大学相撲部の安井和男監督(当時)が付与したもので、時津風部屋の「時」と、モンゴルの広い空のイメージにちなんだ「天空」の合作とされています。
素敵な四股名ですよね。

時天空の病気との闘い

現役だった2016年1月場所前に悪性リンパ腫の治療で入院していることを師匠の16代時津風が公表しました。
間垣親方(時天空)によると、2015年7月頃から右脇腹に痛みが発生し、病院に行ったところ、「あばら骨のヒビ」と診断されたそうです。
しかし、夜も眠れないほどの激痛に襲われ、別の病院を受診したところ「悪性リンパ腫」であることが分かりました。
2015年10月から抗がん剤治療に取り組んでいたそうです。
土俵への復帰を目指していましたが、5場所連続全休の末、2016年8月に引退を発表し、年寄「間垣」を襲名しました。

引退会見時には抗がん剤治療を終え、腫瘍が小さくなったことを明言。
「治療が長引いて1年がたち、体力も戻らなくなっていった。受け入れるしかない」と涙ながらに引退決断の心境を吐露しました。
時津風部屋の部屋付き親方として「若い人を指導しながら、ともに成長したい」と今後について話していましたが、思い半ばで無念の死去となりました。

通夜の予定

通夜は平成29年2月6日午後5時から、告別式は同7日午前11時半から、いずれも東京・墨田区の回向院念仏堂で営まれます。

喪主は時天空のお父様であるジグメド・アルタンガダスさんがつとめます。

角界からのコメント

日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)がコメントを発表しました。
「この度の悲報、ただただ驚いております。現役引退し、全てがこれからというこの時期に突然のご早世、さぞ無念のことと存じます。慎んでご冥福をお祈り致します」

時天空とゲッターロボ

時天空について調べていると、「時天空 ゲッターロボ」「時天空 最強」と出てきたので何かと思い調べてみたら時天空関とは全く関係ありませんでした。

石川賢さんの作品「真説・魔獣戦線」に出てくるラスボスの名前が「時天空(じてんくう)」という名前だったようです。

ついこの間まで取り組みを見ていた気がするので、突然の訃報にただただ驚いています。
つつしんでご冥福をお祈りいたします。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク